座間味


2014年3月5日の「サンゴの日」に沖縄県座間味村のある慶良間諸島は国立公園指定を受け、国内で31番目の国立公園になりました。国立公園の新規制定は27年ぶりで、沖縄県では石垣島の『西表石垣国立公園』に続いて2例目となります。透明度の高い優れた海域景観を有するとともに、約250種のサンゴとそこにすむ生物の多様性に加え、ザトウクジラの繁殖地であることが重視され、沿岸7kmの海域までを指定すると発表されました。通常は沿岸1kmがほとんどで、これだけ広範囲に渡るのは異例の事です。世界屈指の透明度を誇るその海は、海外でもKerama Blue”ケラマブルー”と称されるほど美しく、日本のサンゴの約6割が慶良間諸島に生息していると言われています。また、ウミガメの産卵地でもある慶良間は、シュノーケリングやダイビング中に、彼らに遭遇する事も珍しくありません。人口約900人という小さな島ですが、世界中のダイバーから注目されています。

慶良間諸島海域はラムサール条約登録湿地としても指定されていて、中でも古座間味ビーチは、ミシュラン・グリーンガイドの二つ星を獲得しています。慶良間諸島のほぼ中心に位置している座間味島は、那覇市にある泊港から高速船に乗って50分ほどで行く事ができます。
夏はダイビングやシュノーケルなどをはじめとする各種マリンスポーツ、冬はホエールウォッチングを中心に、一年を通してオフシーズンがなく賑わっています。

Zamami Temperature Ranges

平均気温・水温

 
 

座間味村の歴史

貿易の中継地の島

沖縄と中国の公式交通は1372年より始まりました。当時の船たまり跡「唐船グムイ」が阿護の浦(阿佐)に残っています。番所山の烽火台は唐船がやってきたときの合図に使われていました。

15世紀の初め(1429年)、沖縄の離島、伊平屋島出身の尚巴志が全島の勢力を支配下に治め、琉球に初めての統一した権力をうちたてました。これが琉球王国の誕生です。

その頃になると、琉球は、明(現在の中国)との進貢(しんこう)貿易だけでなく、日本をはじめとして東南アジアの国々との間でも、盛んに交易を展開します。優れた中国製品を大量に輸入してそれらを近隣諸国へ輸出すると同時に、中国へ持ち込む為の商品を日本や東南アジアから調達するなど、東アジアの中継貿易国として重要な役割を果たしました。そのため、琉球には外国の珍しい品々や高価な商品が集まるようになります。それと同時に、中国や日本の商品が、琉球を経由して東南アジアの国々へ渡るようになり、東南アジアの国々の商品もまた、琉球を経由して中国や日本に渡たるようになっていきます。進貢貿易にくわえて、東アジアと東南アジアをつなぐ中継貿易の拠点となった琉球は、14世紀から16世紀中期にかけて「大交易時代」をむかえることになるのです。世界の海を舞台にして壮大な交易の道を築き上げたのです。

 

村指定文化財 阿佐船頭殿の石垣

阿佐集落の前方は湾となり阿護の浦と呼ばれていて、集落に入ると奥の方に立派な石垣囲いの家が何軒かあります。その中の一軒が「阿佐船頭殿の石垣」とあり、村指定の文化財となっています。

「座間味村は、唐船の中継地として古くから栄え、各字には船頭御殿という屋号をもった旧家がある。その中でも阿佐は、進貢船の風待ちの港であった阿護の浦に面し、冊封使や進貢使が度々立ち寄って、記録等を残している。 船頭殿の石垣は、屋敷を取り巻く石垣と、入口奥のヒンプンからなり、琉球王国時代の特徴のある作りとなっている。特にヒンプンは、高さ二メートル、幅八メートルを有し他に類をみないものとなっていて、王国時代の貴重な石造建築物である。」

ソース:今帰仁村歴史文化センター
 

万国津梁の鐘

14~15世紀の琉球王国が海外貿易を盛んに行っていたことを示すものに、かつて首里城正殿にかけられていた「万国津梁の鐘」があります。「万国」とは「多くの国」を示し、「津梁」とは「かけ橋」を意味します。その鐘にきざまれた銘文には、北は朝鮮・日本、西は中国、南は東南アジア諸国の間の中間に位置する琉球が、それらの国々のかけ橋となって貴重な産物を交易し、国中も豊かになっていることが記しるされています。冊封使の琉球への派遣は20 数回にもおよんでいます。

ニライカナイ

沖縄の民間伝承で東の海のかなたにあると考えられている異界の事を意味します。豊穣や生命の源であり、神界でもあると言われています。年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰るとされています。また、生者の魂もニライカナイより来て、死者の魂はニライカナイに去ると考えられています。


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